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先輩移住者の声
先輩移住者の声 Voice of seniors.

移住者インタビュー

江戸時代から続く、
加賀毛針の伝統を受け継ぐ。
金沢で腕を磨く
工芸職人の頑張りが刺激に。
 石川県の伝統工芸品のひとつ「加賀毛針」は、釣り針に小さく切った鳥の羽根などを巻き付け、カゲロウやヤゴといった餌に似せたもので、主にアユ釣りに使います。発祥は江戸時代にさかのぼります。おとりを使う友釣りは武士道に反するとして、加賀藩では武士が毛針釣りをたしなみ、足腰を鍛錬していました。そんな加賀毛針の伝統を今に受け継ぐのが天正3年(1575年)創業の老舗、目細八郎兵衛商店です。同店で加賀毛針を手作りする目細由佳さんに、仕事の醍醐味や金沢暮らしの魅力について聞きました。
目細さんに金沢の魅力を
聞いてみました。

加賀毛針の制作に携わることになったきっかけは何ですか。

目細私は仙台出身で、高校を卒業後、地元の釣り具問屋に就職しました。そこで、目細八郎兵衛商店20代目の主人と出会い、金沢に嫁いで来たんです。主人からは事務だけやってくれればいいよと言われていたのですが、ちょうど嫁いだ年に金沢に残る伝統的な職人技を伝承する「金沢職人大学校」で加賀毛針の専門塾が開かれ、ここに主人の父である会長に連れられて行ったのがきっかけでした。職人になりたいと思っていたわけではないのですが、通っているうちに別の研修生と仲良くなったり、だんだん形になっていく過程が楽しくなったりして、気付いたら3年間のコースを修了していました。それから、事務の仕事もしながら、商品づくりにも携わるようになりました。

仕事の難しさや面白さはどんなところにありますか。

目細1センチほどの釣り針にキジやヤマドリ、クジャクなどの羽根を、接着剤を使わず糸で巻き付け、虫の触角や足に似せていくのですが、とにかく細かな作業を要求されるところが難しいです。何度やってもうまくいかない時もありますし、目も疲れ、集中力も持たなくなりますから、2時間続けたら休憩を取るようにしています。1日頑張って30本できればいい方ですね。面白さを感じるのは、やはりきれいに仕上がった時です。私自身は釣りをしないのですが、お店に来たお客様から「よく釣れたよ」と声を掛けてもらうとうれしいですね。

店内にはブローチやピアスなどアクセサリーも並んでいますね。

目細毛針釣りをする人が少しずつ減っていますから、何か新しい仕事をと考え、約15年前からアクセサリー作りを始めました。加賀毛針を見た女性観光客の「すごくきれいだから、これをブローチにしたら素敵じゃない」という声がヒントになりました。例えば、鳥の羽根を使ったコサージュには、毛針の技術で装飾したピンが入っているのですが、釣り針とは長さも形状も違うので、いかに加賀毛針の美しさを損なわないようにするか、神経を使いましたね。数年前には世界的なファッションブランドとして知られる「イッセイミヤケ」と共同で、イヤリングやネックレス、男性向けに蝶ネクタイを作ったこともあります。要求される形が難しく、何度もやり直しましたが、私にとって新しいチャレンジで、やりがいのある仕事でした。

今後の抱負を聞かせてください。

目細加賀毛針には使う材料や色、糸の巻き方によって、500から600ほどの種類があります。しかも、難しさに応じて難度が3段階あり、私はまだ2番目に難しいものまでしか作ることはできません。職人になって約20年になりますが、まだまだ半人前、修行中と思っていますから、これからも一つ一つ丁寧にこつこつと仕事を続け、ゆくゆくは最も難度の高い毛針も作れるようになりたいと思っています。

ところで目細さんはどんなところに金沢の魅力を感じますか。

目細やはり多くの伝統工芸が根付いている点でしょうか。普段から九谷焼の器を使うなど、生活の中に今も息づいているところも魅力的に感じます。他の工芸の職人さんと実演会場で一緒になることも多く、そういった皆さんの頑張っている姿には刺激を受けますね。

金沢で暮らす中で、お気に入りの場所や時間、過ごし方はありますか。

目細自宅から近江町市場が近く、毎日のように買い物に出かけています。いつでも新鮮な旬の魚や野菜が手に入るのがうれしいですね。冬ならばコウバコガニがおすすめです。これはズワイガニのメスで値段も手ごろですし、プチプチとした食感の「外子」と濃厚な味の「内子」がおいしいんです。金沢に来て初めて食べたときには、そのおいしさにびっくりしました。金時草や源助だいこんといった加賀野菜もよく使いますよ。

金沢への移住を検討している方にメッセージをお願いします。

目細金沢にはたくさんの伝統工芸が残っていますから、金沢に移住した際は、伝統工芸や私たち職人の仕事に興味を持ってもらえればありがたいですね。誰にでもできる仕事というわけではありませんし、向き不向きもあると思いますが、職人として仕事を手に付けたいという人にとっては大きなチャンスのある街と言えるのではないでしょうか。

金沢にはたくさんの伝統工芸が残っていますから、
金沢に移住した際は、伝統工芸や私たち職人の仕事に
興味を持ってもらえればありがたいですね。
誰にでもできる仕事というわけではありませんし、
向き不向きもあると思いますが、
職人として仕事を手に付けたいという人にとっては
大きなチャンスのある街と言えるのではないでしょうか。
目細 由佳(めぼそ ゆか)
昭和47年(1972年)、宮城県仙台市出身。地元の高校を卒業後、仙台市にある釣り具卸会社に入社。そこで金沢から修業に来ていた目細八郎兵衛商店20代目、目細勇治氏と出会い23歳で結婚し、金沢で暮らすようになる。平成9年(1997年)から金沢大学校で毛針作りを学んだことを契機に、加賀毛針職人の道を歩む。
現代アートの視点から伝統の大樋焼を
とらえ、幅広いフィールドで創作に挑む。
大樋焼は金沢市で約350年前から焼き継がれている茶陶です。ろくろを使わず、手びねりで作られた温かみのある造形と趣深い褐色の飴釉が大きな特徴で、多くの茶人に愛されています。その伝統を継承するとともに、プロダクトデザインやインテリアデザイン、空間プロデュースなど、幅広い分野で活躍するのが十一代大樋長左衛門さんです。伝統を新しい創造の糧とし、アグレッシブな挑戦を続けている大樋さんに、創作にかける思いや金沢の魅力について聞きました。
大樋さんのお仕事と暮らし
について聞いてみました。

大樋さんは平成23年(2011年)に文化勲章を受章された十代大樋長左衛門(現・大樋陶冶斎)氏の長男として生まれました。子どもの頃から、将来は家業を継ぐという意識があったのですか。

大樋実は子どもの頃は家を継ぎたくない、陶芸をやりたくないと思っていたんです。というのも、金沢の伝統や父親の仕事はどれも、古くて格好悪いものと感じていたからです。ですから、中学に入ると、何とかして家から離れたい、金沢から離れたいと考えるようになり、卒業後は東京都内の高校、大学に進み、陶芸とは無縁の学生時代を送りました。

では、本格的に作陶に取り組みはじめたのはいつ頃ですか。

大樋大学卒業後、家業と違うことに取り組んでみたいと考え、渡米してボストン大学で現代アートの勉強をしたのですが、ニューヨークで心を打たれた経験が2つありました。ひとつはある展覧会でサンタクロースの格好をした黒人の白黒写真に出会ったことです。この写真は見る人によって、例えば人種差別に対する問題提起など、さまざまな解釈の仕方があると思いませんか。一枚の写真で多くの人にいろんなことを感じさせる現代アートの素晴らしさを実感しました。もうひとつは完成したばかりの斬新な空間で、和服を着たアメリカ人がジーンズ姿の日本人にお茶を教える様子を見たときのことです。もしここに400年前の日本の茶の湯を持ち込んだら、ニューヨークで暮らしている人たちにとっては、僕が古くさいと感じていたお茶がクールな現代アートに見えるだろうって気付いたことです。つまり、同じものでも視点が変わると違ってみえるというわけです。そんな気付きがあってから、現代アートの視点で客観的に大樋焼を見られるようになると、その魅力や奥深さが感じられ、作陶に気持ちが向くようになりました。金沢に戻ってきたのは27歳のときです。

客観的な視点を持つことの重要性はどこにありますか。

大樋やはり、しがらみや思い込みにとらわれず本質をとらえることができるという点にあるのではないでしょうか。伝統と一言で言っても、そこにも時代の流れに応じて変えていい部分と、変えてはいけない部分があると思うのですが、その判断を正しく下せるようになると思います。例えば、大樋焼で言えば、機械化せずに人の手で作る、そして一人で最初から最後までの工程を完結させる点が変えてはいけない部分です。仮にアートであれば、いいものさえできれば、機械で効率化しようが、大勢で作ろうが関係ないのですが、大樋焼のポリシーからは外れます。しかし、逆に言えば、それ以外の部分には挑戦、革新の余地が大きく残されているのです。

挑戦と言えば、大樋さんは陶芸以外にもさまざまなフィールドで活躍されています。最近の仕事で印象深かったものは何ですか。

大樋金沢市のバス会社が北陸新幹線の最上級車両「グランクラス」の乗客が利用するのにふさわしい観光バスを作りたいという依頼があり、その監修を手がけました。「金澤プレミアムバス」というのですが、外観は金沢の街にとけ込むようワインレッドとアイボリーホワイトのツートーンカラーで、後部は漢字の「一」を筆書きしました。内部は移動中も金沢を感じてもらえるように床に石畳、窓側の手すりに金沢箔をイメージしたデザインを施すなど工夫しました。実はこれと同じ時期に、高級客船「ザ・ワールド」に同乗して乗客に金沢の魅力をプロモーションするという仕事をしたのですが、金澤プレミアムバスを初めて利用したのがこの客船の乗客でした。客船が金沢港に入港し、船を降りた際、自分がデザインしたバスが横付けされているのを見たときはうれしく涙が出ました。

日本プロバスケットボールリーグ・bjリーグに参戦している「金沢武士団(サムライズ)」のプロデュースも手がけていますね。

大樋これはチーム名選定有識者会議の委員長に任命されたことがきっかけでした。サムライズには「サンライズ」の意味も込められているんです。金沢の伝統を感じられるような言葉でありながら、英語に聞こえれば面白いなと思って選びました。その後、僕が学生時代にバスケをやっていたこともあって、運営サイドの皆さんとも大いに盛り上がり、プロデュースに携わることになりました。ユニフォームやチームカラー、コートデザイン、選手が使う椅子などはまさにアートであり、工芸だと思います。例えば、チームのロゴデザインには加賀藩前田家の家紋である梅鉢紋、刀、金箔を取り入れました。コートデザインなどはまだまだこれからですが、チームも試合するたびに強くなっていますから、一緒に盛り上げていきたいですね。

今後の抱負を聞かせてください。

大樋先ほど話したように、現代アートという視点から自分自身や大樋焼を見て、創作活動に取り組みたいと考えています。現代アートとは今の時代に敏感に反応し、人が手がけていない方法で表現することです。それは、いばらの道ですが、心身が疲れ果てるまで、その道を追求したいと思います。また、自己満足でなく、仕事を通して、いかに大勢の人に喜んでもらえるかが僕にとっての楽しみです。多くの人に感動を与えるような仕事に取り組んでいきたいですね。

ところで、大樋さんはどんなところに金沢の魅力を感じますか。

大樋金沢には舞踊や邦楽、茶道、書道、香道など、さまざまな文化が生活の中に息づいていますから、住んでいると自然とそういった文化に親しむことができます。それに、例えばお茶であれば、茶碗や棗などの道具、お菓子、部屋のしつらえといった具合に、関連するさまざまな日本の文化を学ぶことができます。そういった文化の中に身を置くと、五感が素晴らしく研ぎ澄まされていきます。そして、五感をフルに使っていると、いわゆる第六感、ひらめきが降りてくるようになります。私にとってはこれが作品づくりのエッセンスになります。特にものづくりに取り組む人や文章を書いたり、絵を描いたりする人にはぴったりの街ではないでしょうか。

金沢への移住を検討している方にメッセージをお願いします。

大樋生活の拠点を金沢に移して、東京で誰も手がけていないような野心的な仕事、実験的な仕事にチャレンジするというライフスタイルをおすすめしたいと思います。先ほども話したように金沢で五感を研ぎ澄ませ、英気を養えば、仕事に対していいインスピレーションが湧きます。それを生かして、東京や大きなマーケットのある場所で勝負するのです。もちろん、旅行でも金沢の良さを感じることができるとは思いますが、やはりここに腰を落ち着けることが大切です。それによって東京にいるときとは違う感覚、視点が身に付くようになると思いますよ。

生活の拠点を金沢に移して、東京で誰も手がけていないような野心的な仕事、実験的な仕事にチャレンジするというライフスタイルをおすすめしたいと思います。金沢で五感を研ぎ澄ませ、英気を養えば、仕事に対していいインスピレーションが湧きます。それを生かして、東京や大きなマーケットのある場所で勝負するのです。もちろん、旅行でも金沢の良さを感じることができるとは思いますが、やはりここに腰を落ち着けることが大切です。それによって東京にいるときとは違う感覚、視点が身に付くようになると思います。
十一代 大樋長左衛門・年雄
(じゅういちだい おおひちょうざえもん・としお)
昭和33年(1958年)、大樋陶冶斎(十代大樋長左衛門)氏の長男として金沢に生まれる。昭和56年(1981年)に玉川大学文学部芸術学科を卒業、昭和59年(1984年)にボストン大学大学院修士課程を修了 (M.F.A.)。日本伝統工芸展入選、日本陶芸展入選、日展にて会員賞、日本現代工芸美術展では内閣総理大臣賞など受賞多数。国内外で個展やワークショップを多数開催するほか、店舗等のプロデュースやデザインも手掛けている。平成28年(2016年)に十一代大樋長左衛門を襲名した。
一人でも多くの人に
笛の魅力を伝えたい。
そんな思いを原動力に
合奏や作曲にチャレンジ。
金沢は邦楽が盛んな土地です。三味線や箏、長唄、小唄など、さまざまな分野で多くの邦楽家が日々研さんを積んでいます。そんな芸どころ金沢で横笛奏者として活躍するのが藤舎眞衣さんです。古典の曲はもちろん、ポピュラー音楽やオリジナル曲に至るまで、幅広い楽曲を国内外の舞台で披露。和洋問わず、他ジャンルの音楽家と共演したり、小中学生に笛を指導したりするなど、邦楽の発展と普及のために活動を続けています。そんな藤舎さんに横笛にかける思いや金沢の魅力について聞きました。
藤舎さんのお仕事と暮らし
について聞いてみました。

笛を始めたきっかけは何ですか。

藤舎一番のきっかけは、中学生の頃、金沢のにし茶屋街にある茶屋の女将で笛の名手として知られた峯子さんの笛を聞いたことでした。祖母と母は日本舞踊の先生で、自宅にも三味線や鼓がありました。峯子さんは小柄な方でしたが、とてもパワフルで、一瞬のうちにこちらを笛の世界に引き込むような素敵な音色でした。もともと楽器は好きでしたし、子どもの頃から母に「趣味を持ちなさい」と言われていたこともあって、笛を習いたいと思うようになりました。

では中学時代から習いはじめたのですか。

藤舎実は峯子さんに弟子入りをお願いしたのですが、「夜しか教えられないので、子どもはだめや」と断られてしまいました。その後、しばらくご縁がなかったのですが、私が25歳のとき、祖母の追善日本舞踊の会で笛を演奏してくださった中川善雄先生の艶っぽい音色に魅了され、入門をお願いしました。

笛の魅力はどんなところにありますか。

藤舎笛は細い竹に穴を空けただけのシンプルな楽器です。でも、簡素な作りだからこそ、息遣い一つで微妙に音色が変わります。その分、吹き手の個性や持ち味がはっきりと表れ、そこが笛の魅力だと思います。また、いろんな表現方法が可能で、古典から誰もがよく知っているポピュラー音楽まで幅広く演奏できます。それに、サイズの小さい楽器ですから、いろんな場所に気軽に持っていけるところも特徴ですね。

パーカッションやハープとコラボレーションするなど、幅広い活動に取り組んでいますが、どのような思いがあるのでしょう。

藤舎私は笛を始める際、20代はとにかく継続は力なりと心に留めて稽古に励み、30代はいろいろなものにチャレンジし、40代は30代に挑戦した取り組みの中からこれはと思うものを洗練させて行こうと目標を立てました。そういった和楽器以外の楽器とのコラボレーションも、30代の挑戦の一環です。ほかにも、ソプラノ歌手と共演したり、ファッションショーに出演したりしたこともありました。こうした活動の根底にあるのは、やはり一人でも多くの人に笛の魅力を知ってもらいたいという思いです。

新たな挑戦を続ける中で、何か印象に残っている演奏はありますか。

藤舎ニューヨークのカーネギー・ホールで演奏させていただいた「獅子」という笛の合奏曲です。中川先生の編曲で、この曲で合奏の素晴らしさを体感しました。この曲をきっかけに古典の曲や抒情曲を二重奏、三重奏に編曲し、大勢で演奏するようになりました。これがとても楽しいんです。時には50人ほどで演奏したり、子どもたちがかわいい踊りを合わせてくれたりして。それまではどこか肩に力が入っていたのですが、合奏をすると肩がふっと軽くなるような気がしました。舞台で合奏を披露しているうちに、イベントなどでも演奏してほしいとオファーをいただくようになり、「眞衣さんが合奏を始めてから、一般の人でも笛を習う人が増えた」と声をかけてもらったことがあり、今でも励みになっています。邦楽は格式があり、敷居が高い印象を持たれがちですが、決して難しく考える必要はありません。いろんな人に関心を持っていただけたという意味ではよかったと感じていますし、これを糸口に古典の世界へも興味を広げてもらえるとうれしいですね。

これからの抱負を聞かせてください。

藤舎笛の奏者として研さんを重ねていくとともに、作曲に挑戦したいと思っています。笛だけで演奏できる曲は少ないので、ソロで吹いたり、2、3人で演奏したり、大勢で演奏したりと、幅広いバリエーションの曲を作っていきたいですね。また、若手の育成にも力を入れていきます。実は父が主計町で開いている町家カフェの2階で、約5年前から若手音楽家によるミニコンサートを開催しています。出演者には私の門弟だけでなく、サックス奏者、ピアニスト、箏奏者がいらっしゃいます。きっかけは私自身の経験でした。というのも、私が師事した中川先生は東京在住でしたから、私は金沢でどのように演奏の場を広げていくか悩んだ時期があったのです。そんなふうに悩む若手音楽家が経験を積む場になればと思い、ミニコンサートの開催を思いつきました。それに、金沢は昔から植木職人さんや大工さんなどが謡をうなるほど文化のすそ野の広く、「空から謡が降ってくる」とも言われます。まちのあちこちから音楽が聞こえる、そんな風情を残していくことにつながればと思います。

ところで藤舎さんはどんなところに金沢の魅力を感じますか。

藤舎金沢は四季の変化が美しいまちです。そして金沢の人たちは、四季の移ろいに合わせて玄関に飾る花や小物を変えたり、床の間の掛け軸を変えたりと、季節感を暮らしの中に取り入れるのがとても上手だと思います。また、父が経営する町家カフェは築100年の金沢市指定文化財の建物を改装して使っていて、木虫籠(きむすこ)と呼ばれる美しい出格子や赤壁が大正時代の趣をそのまま残しています。ほかにも、普通に生活している方々がの自然と調和しながら歴史遺産を受け継いでいて、そんなところも素敵だと感じます。それと、私は学生時代、東京に住んでいたのですが、東京に比べてまちがコンパクトにまとまっている点も魅力です。行きたい場所にすぐにたどり着けますし、何かを知りたい時にも詳しい人とつながりやすく、とても便利です。

金沢で暮らす中で、お気に入りの場所や時間、過ごし方はありますか。

藤舎鈴木大拙館がおすすめです。特に「水鏡の庭」がお気に入りで、静寂の中で水面をぼんやりと眺めていると、とにかく心が落ち着きます。また、市街地のすぐ近くにある卯辰山もなじみ深い場所です。以前、自宅が近くにあったので、子どもの頃は卯辰山から季節ごとに位置が変わっていく星を眺めているのが好きでした。今でも仕事が煮詰まったりすると、夜中にドライブすることがあります。

金沢への移住を検討している方にメッセージをお願いします。

藤舎金沢は衣食住のすべてが充実していて、とても暮らしやすいまちです。それに加え、文化が身近にあり、生活に潤いをもたらしてくれています。一口に文化と言っても、邦楽や工芸、和菓子、お茶やお花、剣道、弓道など、すごく幅が広いので、自分が求めている文化と出会い、接することが必ずできると思います。

金沢は衣食住のすべてが充実していて、とても暮らしやすいまちです。それに加え、文化が身近にあり、生活に潤いをもたらしてくれています。一口に文化と言っても、邦楽や工芸、和菓子、お茶やお花、剣道、弓道など、すごく幅が広いので、自分が求めている文化と出会い、接することが必ずできると思います。
藤舎 眞衣(とうしゃ まい)
昭和43年(1968年)生まれ。大学卒業後、平成6年(1994年)から中川善雄さんに師事して笛を学ぶ。平成16年(2004年)に金沢市文化活動賞、平成18年(2006年)に北國芸能賞を受賞した。平成26年(2014年)に東京芸大音楽学部別科邦楽囃子笛専修修了。社中「一声会」を主宰。金沢素囃子子ども塾の講師を務めている。
移住者の方々の目線で見る
金沢の暮らし。